ゆらのロサンゼルスばたばたライフ

サンフランシスコからロサンゼルスへお引っ越し。2人の子育て奮闘中。

マンザナー強制収容所

こんにちは、ゆらです。
前回の続きです。よろしければこちらからどうぞ。

ホイットニー山を見ることができ(勘違いしてたけど)一向大満足で、本来の目的地のマンザナー強制収容所へ向かいます。Lone Pineからは15分くらい北上します。

国立公園局管轄ですが、無料で見学できます。素晴らしい展示ですので、是非同じ日本人として見るべきだと思います。

ガイドツアーは今はやっていませんが、自分で回ることができます。また展示の一部、映像の展示はまだ再開していません。フルオープンとは言えませんが、子供のジュニアレンジャーブックをまた1時間以上かけて共にやることで、一緒に勉強になりました。



想像通りの乾いた土地、5月でこの暖かさ(TシャツでもOK)は真夏はどれだけ辛かったのだろう、と思います。ですが、想像と反してものすごい絶景でもあり、辛い状況でもこの景色に救われた瞬間もきっとあったんじゃないかと思わせるような景色でした。
そんな簡単に救われる瞬間なんかなかったと思いますが、とても綺麗な山々を見ることができます。
石が10個並び、収容所の名前、人数が書かれています。実はカリフォルニアにはもうひとつ、オレゴンに近い、北カリフォルニアに位置するTule Lakeにも収容所はありました。そこの方が人数も多く、反米精神が強いとみなされた日系人が送られ、更に辛い場所だったようです。



日系二世以降は英語しか話せない方もおり、ここに入れられることはとても不甲斐なかったと思います。
展示の写真を並べますね。

1945年、終戦後に解体されましたが、その前はこのように規則的にバラックが並んで、1万人が生活していました。中には学校をはじめ、美容院、教会、日本庭園、劇場、病院もあります。
全米10ヶ所の強制収容所の地図です。



展示を見た後はすぐ近くにある再現されたバラックと、Mess Hall=食堂を見に行きました。

ビジターセンターのすぐ裏です。

部屋から外を見た景色。バラックがない以外は、当時と変わらない景色だと思われます。

粗末なベッドが並びます。
写真は撮っていませんが、トイレにドアはありません。感染症も蔓延するような環境だったことは想像できます。
食堂は広々していましたが、ここの食事は口に合わず、かなり大変だったことが書かれていました。
しかし日本人は勤勉で働き者。この乾いた土地で米、作物、醤油や味噌も作っていたそうです。こっそりお酒も作っていたことも知りました。

終戦後、強制収容所は解体されることになり、収容されていた日系人たちは自由になったものの、市民権は剥奪されたまま、財産、家財道具、車など全てを奪われた日系人が社会復帰することは簡単ではなく、戻るところはないからこのまま残りたいと申し出た者もいたと聞きました。
強制収容所の経験がどれだけ辛かったかは計り知れませんが、その後の苦労は収容所以上だった方もいたようで、むしろ戦後の方が大変だったようです。

さて、マンザナーといえばコレしかない、というほど有名な慰霊碑に向かいます。
トレイルになっており、1時間もあれば戻って来られるので歩いてみました。

結論、オススメしません。

最初と最後は何とか道がありますが、途中道ではなく、ここで合ってます?というようなルートを通らされ、正直楽しくないし、景色は変わらない、暑い、往復1時間ってまぁまぁ疲れる…
慰霊碑までは自家用車でグルリと回れるんですよ。絶対その方がいい!


絶景の中にある慰霊碑。

同じルーツを持つ者として、手を合わせ黙祷させて頂きました。アメリカに住む日本人はもちろんですが、アメリカの人もここは訪れてほしいと感じました。

最後に夫は監視塔を見に行っていましたが、私たちはお腹ぺこぺこになっていたので、パーキング沿いにあるピクニックテーブルで朝から用意していたおにぎりを食べました。絶景のおにぎりって何よりも贅沢。
この時点で14時すぎ。まっすぐ帰ったら夕飯には帰り着きます。
が、せっかく来たんだもの、遅くなって構わないってことで、この後トレイル行ってきました。ここがまた素晴らしい景色の連続で、行ってよかった!と思うので、次に書きたいと思います。

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