ゆらのロサンゼルスばたばたライフ

サンフランシスコからロサンゼルスへお引っ越し。2人の子育て奮闘中。

アメリカで子宮筋腫の手術を受ける

こんにちは、ゆらです。

だいぶご無沙汰しておりました。
ネタは温めています。
休んでいたのは、タイトルの通り。
ちょっとその準備やら、学校のEnd of year、色々忙しくてお休みしていました。
弱っていますが生きています。

手術までのこと
私の子宮筋腫がわかったのは、去年の夏の一時帰国での健康診断でした。子宮が腫れているから専門医に診せるように言われ、こちらで受診したのが10月。
そこで、8センチほどの大きな筋腫があることがわかりました。すでに子供が2人いるので、もし新たな子供を望まないなら、子宮を全摘出しましょうと言われました。

少し迷いましたよね。
よく言う、女性じゃなくなるかも、みたいな感覚はなかったのですが、生きてきてずっと一緒だった体の一部を失うことに対して、戸惑わない人はいないと思います。
まだ妊娠を希望する人は、筋腫だけを取り除く手術もあるそうですが、私の筋腫は大きいので難しいようです。そこだけ取り除いても結局再発するでしょうし。

この数年、毎月の生理が本当にひどく、大容量のタンポンとナプキンの併用をしても、朝学校に子供を送ってそのままトレジョで買い物すると漏れていました。毎月毎月粗相を繰り返し、自己嫌悪。病気だったんだな、と思うとスッキリしました。もうこの毎月の億劫とお別れできることは喜びに近く、色々調べた結果、全摘出を決めました。

私の場合、卵巣はきれいなので残せます。卵巣からホルモンが出るので、ホルモンバランスを崩すこともなく、ただ妊娠ができないだけです。
知り合いに、子宮を若くして摘出するとアルツハイマーのリスクが上がるから慎重に判断してと言われ、ものすごく悩んだ時もありました。
ただもう我慢できないほどの毎月の苦しみだったこと、アルツハイマーのリスクが上がっても卵巣以外の癌のリスクを取り除ける、トントンだし、人生楽しみたいと思い決断。

が!
オミクロン大暴走のため、手術は受けられないことになり…ズルズル待っていました。
結局子供たちが夏休みになる6月の半ばに受けられることになりました。話は決まるとトントン進みます。

怖いのはやっぱり医療費。救急車に30万かかる国、手術したら何百万?日本でやるべき?と。幸い夫の会社の保険はかなりのカバーをしてくれるようで、手術前のデポジットなども不要でした。術後支払いの明細がくるのかもしれませんが、今のところ何もありません。
保険のことは調べまくりましたが、こればかりは人間の体くらい人によるので、参考にならないと思います。

私の主治医の先生のクリニックも、手術する別の大きな病院もin networkだったので、色々早かったです。色々な人のブログを読みましたが、私の場合まるで親知らずを抜くくらいライトな感じの手続きでした。

手術の日が決まる前、5月の終わりの健診の時に血液検査をしただけです。全摘なので、MRIなどもなし。ただ保険の関係で、手術前に必ず診察が必要らしく、4日前にクリニックに行き、説明などを聞きました。またコロナの検査も必要とのことで、同じく4日前に受けに行きました。これ陽性だったらどうなってるんだろう。

今は子宮全摘出は小さな穴を3ヶ所開ける、腹腔鏡手術が可能で、膣から取り出すと言われましたが、私の場合子宮が腫れているので、腹腔鏡を試すけど、無理なら開腹手術に切り替えると言われていました。
腹腔鏡なら2〜4週間、開腹すると4〜8週間回復までにかかると言われていて、術後の痛みを考えると腹腔鏡で出来るといいな、と漠然と思っていました。

問題は私が使い物にならない期間の子供の世話と家のことです。コロナの唯一良かったところは自宅から仕事が円滑にできるようになったこと…とはいえ、さすがに家事までは両立できないだろうと思い、迷いましたが東京にいる実母に渡米してもらうことに。
結果…今のところ頼まなかったら無理だったと思います。病院はコロナ禍で入れる人数が少ないし、朝5:30に誰か子供を預かってもらえる人もいません。米国入国に陰性証明がいらなくなったタイミングも合い、本当によかったです。しばらくの間は母と夫に甘えて回復をしたいと思います。

4日前の最後の診察の時に、子宮自体が腫れているから開腹手術になるかもしれませんと言われ、ちょっとへこみました。まぁ仕方ない。

手術前日
日本と違い前日から入院しません。飲食は夜中の24時までオッケーでした。飲酒は手術24時間前までなので、もう2日前の夜で最後。しばらく飲めないのは辛い。
前日に病院に行き、体を洗う専用ソープをもらいました。それを使って前日の夜と当日の朝洗います。皮膚のバクテリアなどを取り除いてくれるらしいです。
体についた金属は全て外しておくように指示がありました。あとは何もありません。病院に持って行くものはIDと保険証だけです。入院セットは何ひとつ不要。一応化粧水をトラベル用に最低限入れましたが、いや、無理。そんな顔なんて洗う余裕なしだった。

手術当日
私は7:30からだったので、5:30に病院に着くように言われました。
まだ真っ暗。着くと初診の病院と同じ事務手続きを受けまして、その後手術の前の部屋に案内されます。待合室とかすっ飛ばしで、いきなりベッドがずらっと並んでいて、急に緊張。
何言ってんのか全然聞き取れない、北欧系のニコリともしない怖いナースに、尿検査のカップを渡され、着衣を全部脱いで袋に入れてコレで体拭いてきて、とトイレに放置されました。日本と違って体拭くのも自分なのね。真っ裸でトイレで寒いなと思いながら拭き拭き。靴も脱ぎ、専用の変な靴下を履いて外に出るとベッドに案内されました。荷物は名前がついたロッカーに。

ナースが来て静脈に管を入れました。出産する時しか経験ないです。次に来たナースに色々質問を受けます。最初に英語でいいか聞かれました。頼めば通訳いるのかもしれないですね。
面白いと思ったのはDVについて。一緒に住む夫は優しいか?みたいなことをいくつか聞かれ、なんで関係あるの?とキョトンとしてしまいました。

夫もそこで合流して頑張れよーとゆるく応援。
BTSのメンバーかなってくらい美肌色白毛穴ゼロの若めの男性麻酔科医が来て、麻酔の説明を受けました。あまりの美肌に釘付けすぎて半分くらい聞いてませんでした。お陰で何の話をされていたのかわかりませんが、おそらく副作用とかでしょう。そこでやだとか言っても手術はやめられないけどね。不安を取り除くんでしょうね。

何だかあっという間に時間になり、手術室に運ばれてしまいました。
もうね…ドラマ、映画で見る手術室!ひんやりした室内、こっちのベッドに動いてと言われ、おしりここかな?ポジション平気?と聞いた後の記憶が1秒もない。

えー!いつ麻酔?!てか美肌の麻酔科医が最初に酸素マスク口に当てて、ゆっくり眠くなりますよーじゃないの?と目が覚めた時思いました。
信じられない…こんな秒でわからなくなるんだ。

ということで、一度目が覚めたのは13:30くらいでしたが、麻酔の二度寝。目が覚めたのは14:30でしたね。術後の部屋は2人部屋で、相方のメキシコ人がマジでうるさくて!テレビの音でかい!本人さらにうるさい!多分麻酔でウトウトしてなければ大クレーム案件。
が、夕方には退院し、ものすごく平穏になりました。クレーム入れてないけど、何故か真夜中に個室に動かされた。

目が覚めたとき、猛烈に喉が渇き、たまたまそこにいたナースに飲ませてもらいました。お水美味しかった!
朦朧としている時に先生がいらして、結果報告。腹腔鏡ではやはり無理で、開腹になりました、と。がーん。
と、いうのも子宮が腫れていて、妊娠4ヶ月のサイズになっていたそう。その子宮が膀胱に癒着しており、膀胱も一部切ることになったので、1週間カテーテル生活。たしかにトイレも近かったし、これは子宮が押してたからだったんだな、と思いました。今のタイミングで手術を受けられてよかったです。

痛みはそれほどでもなかったです。ずっと薬漬けになっているから仕方ないですね。
スープとゼリーが、昼と夜どちらも運ばれましたが流石に食べられませんでした。

麻酔から目覚めてから翌朝までは気がついたら寝ていて、目が覚めるけど、寝ているのは30分くらい…という寝たり起きたりを繰り返していました。一度猛烈な吐き気がありましたが、その時吐き気どめを点滴に入れてくれたので、その後は何ともありませんでした。全身麻酔が抜けるのは24〜48時間かかるから、吐き気があるかもしれないと言われてビビりましたが、特にその後何もなかったです。
点滴は他に痛み止めが入っており、痛い!と思ったら押してね、あなたのbest friendよと言われました。でもbest friendそんなに活躍しなかったな。日本人は我慢強いよねと言われましたが、私は痛みに弱い方。ほんと別に押すの忘れてることの方が多かった気が。

長くなるので、手術の翌日のことはまた次回に書きます。

 /></a><br /><a href=にほんブログ村 海外生活ブログ 海外駐在妻へ

参加してます😋